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福島滞在記④

福島滞在記①(0〜2)福島滞在記②(3〜5)福島滞在記③(6〜9)/ 福島滞在記④(10〜12)


10.カフェ

「除染作業バイト 日当15000円」という求人の張り紙が、「コンビニバイト 時給980円」とかわらないノリでお店や家の外壁に貼ってある。除染があまりにも日常の内側にあること、そして日当15000円はアルバイトとしてはいい額だが内容を考えるとあまりにも見合っていない額ではないかと思うこと、つまりそういう額で引き受ける層―みあっていない仕事であっても、ひとまず高額のアルバイトをする必要のある層―が日々東電と国、そしてなによりその電気の恩恵にあずかってきた関東圏の私たちのしりぬぐいをさせられていることを思い知る。

その貼り紙の近くのカフェに入る。疲れていたので、ハーブティーでも飲んでゆっくりしようと思った。マスターのおじちゃんにメニューの文字をさし「ハーブティーの、ローズヒップで」と言ったら「それねえ、これ全部で一緒なのよ。ブレンド四種類」と言われてしまった。「ビューティー」「リラックス」など効用のトピックスが4段に分かれていて、その下にそれぞれ4種ほどのハーブの名前があった。…と、私は解釈していたのだが、どうやらその効用のトピックがそのままブレンドハーブティーの名前だったらしい。そしてその下の4種のハーブがブレンドされている中身だったということだ。「あらそういう意味だったんですね、失礼しましたー」といい、ローズヒップが入っている「ビューティー」を注文した。ローズヒップティーが飲みたかっただけなのだが、なんだか恥ずかしい。しかしこのハーブティーの会話で福島に来て初めて、お店の人に温かみを感じた。

ふたつ隣に座っているおじさん4人組は、政治的な話で盛り上がっており、ところどころ気になる言葉が耳に入り込んでくる。「オバマさんがちゃんと締め付けないからあんなことになる」という、ダッカのテロについての言葉が耳に刺さった時には、ハーブティーを淹れようとした手が止まった。
そのような考え方には怒りも感じる一方、東京のカフェで隣の席の集団に同じ話をされるのとは全く違う冷静な感情もあった。こう言ってはなんだが、「除染作業バイト 日当15000円」の貼り紙があり、国道6号線には歩いていかないよう動きが染みついている人々の町において、それは浅い言葉ではないと思った。
「締め付けたってどうにもならないだろう」と思うものの、「しかし締め付けなくしてもよくはならなかった」という絶望もある。絶望。この町には絶望が薄氷のように支配している。
店内ではPerfumeの「Dream Fighter」が流れている。インストゥルメンタルではあるのだが、あのメロディを聞くと自然と歌詞が頭に浮かぶ。

最高を求めて 終わりのない旅をするのは きっと僕らが 生きている証拠だから
もしつらいこととかが あったとしてもそれはキミがきっと ずっと あきらめない強さを持っているから …

「雉?雉なんてその辺の道路はしっているよ」
別の死角となっているテーブルで、客にマスターが言った言葉が急に耳に飛び込んでくる。ちょっと不意打ちで笑いそうになった。
雉、走るのか。しかも道路を。車と同じに、走るのか。

飯館のサルもそうだが、どれほど汚染され絶望に支配されようともそこで生きている獣がいることは(そしてそれらが都内では檻の中でしか見られないものであることは)私にとっては救いであり、東京が福島を憐れむような上から目線になることを回避してくれるものでもある。

サルや雉にとっては東京より飯館や南相馬の方が住みよいのだ。

11.ゲームとカタストロフ

17時半ごろ、福島駅行のバスのバス停に着いた。18時過ぎのバスで福島駅に戻り、そこから新幹線で東京へ帰る予定だ。
「あーあの駅のなか探検する?」
ペアルックのTシャツを着たカップルが、スマホを見ながら原ノ町駅の駅舎へ向かっていった。
なんだか嫌なものが背中を這う感覚があった。
…「探検」。
二人して並んで歩きながら各自のスマホを見て歩いているこの光景は二週間前から都内でもよく見かける。たぶん、ポケモンGoだ(これを書いている今はもうそうでもなくなっているのだがこのころはまだ国内リリースから2週間しかたっておらず、まさに大盛り上がりの最中だった)。
川俣の女子高生がえんえんキャタピーの話で盛り上がり続けるのはかわいいなと思った。そんなことが起こったのは地域性が出てしまうゲームの性質であり、バーチャルの世界はフラット(平等)であるという大前提の覆りを感じた。キャタピーしか出てこない地域は、山間部という意味以外に「ターゲットプレイヤー数の少ない場所=そもそも住人の少ない場所」という意味があるのだろうが。しかしそこには確実に現実の彼女たちの生活する土地が地続きにあるように感じた。文字通り、VR(仮想現実)ではなくAR(拡張現実)なのだなと納得したのだった。
しかし「原ノ町駅を探検する」というカップルの言葉の軽さにおいては、「被災地の駅」は拡張された現実ではなく「実在するにもかかわらず仮想現実のレベルに引き下ろされた借景アイテム」であった。
被災地にレアポケモンおいて観光誘致しようという話もあったと思うが、災害とARゲームのつながりはそう簡単な話ではないと思った。自分自身がよくいく場所や思い入れのある場所では記憶の紐づけも起きて文字通りの「現実の拡張」があるかもしれないと思う。しかしそうでない場所(はじめて行く場所、特に物語性すら持ってしまっている場所)では現実が虚構に飲み込まれてしまうのではないか?はたしてカタストロフを「虚構」にのみこませてよいのか?

そのカップルはちょっとして戻ってきて、同じバスで福島駅へ向かった。国道6号線や「除染作業バイト 日当15000円」の衝撃冷めやらぬ暗澹とした気持ちでいる私の後ろで、とっても楽しそうに話すペアルックのカップルは、一時帰宅から戻る(帰る、というべきなのだろうか。しかしそれは奇妙な話だ)人もまばらに乗るバスの中で浮いていた。

12.月と飯館と祭

バスが飯館村あたりに来るときにはもう夜だった。おぼろげな月がきれいで、その月の下には黒々とした山と、あの黒い土嚢があった。あの子ザルはおかあさんのもとに帰ったろうか。そもそもお母さんは生きているのだろうか。お母さんは元気だろうか。
暗闇の中で「山津見神社」をみつけた。「綿津見神社」が飯館村にあるのは地図で確認していたが、山津見もあったのだ。山の神を祀る神社と海の神を祀る神社がこんな近くにあるのかと感動した。いつか、もう少し除染が進んだら、ふたつの神社を訪れたいなと思う。

***

福島駅に近づくとお祭りでにぎわっていて、夢を見ていたのだろうかと思う。
交通整理と人の山。バスもかなり徐行運転になり、ゆっくりと駅にたどり着く。道路の神輿と、いろんな法被を着た人たち。駅の中に入ると、おそろいの膝丈の着物ドレス(?)を着た若い女の子三人組が黄色い声で騒ぎながら駅前の人混みに向かって走っていった。

まだ鳥の騒ぎ声が聞こえる。こうもりの声のようなあの声。もしかしてこの声は、悲鳴なのだろうか。

祭りの賑わいのなかにあっては、黒い土嚢も日当15000円の除染作業員もあの薄ぼんやりとした月でさえ夢と消えていた。

きっと明日の朝も、このバス停には鳥の羽が舞っているのだと思う。


[滞在記 終]


余談(あとがき)

新幹線に乗る直前、最後までみていた福島の景色は、7色に変化する電飾の塔だった。あれほど悲しい思いをした福島なのに―そう思ったけれど、福島の原発に依拠した東京のハイスピード消費社会の中で育った私に責める資格がないこともよく分かっている。よくわかっているけれど、多分このもやもやは「東京(依存する消費都市)/福島(利用されきる地方)」という2項対立ではなくて、「東京/安全都市福島/今も汚染に苦しむ福島」という三つ巴で問題を整理しなくてはいけないように思う。7色の塔は綺麗だったかもしれないけれど、私は海が見たかった。