About
Archive
Marebito news letter
Text
Youtube
contact


福島滞在記③

福島滞在記①(0〜2)福島滞在記②(3〜5)/ 福島滞在記③(6〜9)/ 福島滞在記④(10〜12)


【8月6日】

6.バス停で鳥の羽が舞う

翌朝、バスターミナルでバスを待っていると、空から鳥の羽が降り続いていた。
ゆうべもあの鳥たちが騒いでいたのだろうか。ゆうべは早くにホテルに戻ってしまったのでわからない。
昨日は気付かなかった駅前の幸福実現党の「安全都市宣言」という看板を眺めながら、昨日行った川俣のその先・飯館を通って南相馬へ向かう。

7.飯館

昨日と同じ川俣までの景色が終わり飯館に入ると、あまりのギャップに「うっ」となる。
黒い、何かのマークの付いた土嚢の積み重なりと、防護服で除染作業をする人たち。
福島駅近辺の「道路除染をします ご迷惑をおかけします」とは違う、それはもう日常であった。
線量計の数値を見ると、昨日の川俣では0.09や0.1だった数値が0.6。そのあと南相馬でも0.09や0.1だった。
川俣の赤い風車。風の谷のようだと思ったけどあながち間違いではないのかもしれない。と、除染された白い砂(?)を見ながら思う。川俣の砂も不自然に白い場所があった。あれは除染の跡だろうか。

世界の終わりを見せられたような景色の合間に、ふいにあの緑と赤のオレンジのロゴ、セブンイレブンが浮かび上がってきた。そこには普通に都内でも見るような、携帯を見ながらセブンイレブンの袋を持って出てくる若い人(一時帰宅者だろうか?)やコンビニの前で座って休憩している作業服の集団などがいる。ただその作業服は左官や鳶職のものではなく、除染のための防護服だろう。

バスはずっとずっと山へ走る。ぼーっと窓から山を見ていたら、目の前の樹から子ザルが落下した。一瞬何が起きたかわからず腰を浮かしてしまった。道路に落ちた(というよりも、おそらくはただの着陸失敗)子ザルはさっとおきあがり、バスが去ったところを見計らって道を横断していく…
あのサルは生まれたときから汚染された山にいる。それはつまり、〝サルにとっては汚染されていない〟ということだ。放射能が知覚できない彼らの世界には放射能は存在しない。ましてや、生まれたときから汚染された世界にいるのなら、その汚染された状況がそのサルにとっての世界の条件になるだろう。たとえそのせいで病にかかったり、死ぬようなことになったとしても、病にかかった事実や死んだ事実があるだけで、それはごく自然な出来事でしかない。…それにしても、腕白そうな子ザルだった。

8.南相馬の潮の香り

そうして南相馬、原ノ町駅に着く。
原ノ町駅を越える、歩道橋の上で潮の香を感じた。私は常に山の文化圏で育ったので潮の香りはおのずと嬉しくなる。山/海という大きな世界の二極で考えたとき、すべての海辺の町は根源的な異郷になる。その潮の香りの源は汚染されているのかもしれないと思うと複雑だった。しかしそんなことを思わなければ、そこは大きな異郷のひとつに過ぎないのだった。

9.国道6号線

そういった思いもあり、どうしても海が見たかった。
バスの車窓越しなら見られるとなぜか無心に信じてしまっていた。事前のリサーチ不足だったと反省しているのだが、海のほうまで行くバスのバス停でしばらく待ってしまったのだ。いくら待っても来ないなあと思い始めたころ、バス停の横の和菓子屋さんがいぶかし気に見てくる気がした。もしや、と携帯を開き調べてみると、バス停には時刻表が貼ってあるだけで「運休」とも書いていないのに、サイトには運行停止の案内がのっていた。3.11のあとずっと、そうだったようだ。普段なら地元の人しか使わないのだろうから、わざわざ運行停止の案内を貼る必要もないのだろう。いまの地元の人にとってはここがバスの停まる場所ではないことはわかりきっている(5年間ずっとそうなのだから)。それを使おうとする私はさぞかし奇異な存在だったのだろう。
「自動二輪車、原動機付自転車、軽車両、歩行者は通行できません」という看板が立つ、国道6号線合流手前でのことだった。その看板には、バスに待ち疲れたころようやく気付いたのだった。国道6号線は現在、一般車両のみが通行可となっている。
道路の反対側にはモスバーガーがあった。昨日から日差しが容赦なく、しかもなぜか福島にはさえぎるものも何もなくて(昨日の山での迷子の時でさえ、高くて葉の茂る樹がなかなかなくてほとんど日影がなかったのだ)私は疲れ果てていてどこかで休みたかった。和菓子屋さんは入るのに少しハードルが高かったので、道を渡ってモスバーガーに入って休む。人は国道6号線の方には進まないのに、むしろ国道6号線へ入る車の方は混んでいた(一般車両でしか行けないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。不思議な動線が、国道6号線の付近にはあった)。
モスバーガーには幼い子供連れの家族も多くいた。この光景の映像を「都内某所」とキャプションをつけて提示しても何の違和感もない、どこにでもあるような普通の生活も変わらずにそこにはありつづけていた。

⇒福島滞在記④へ