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福島滞在記①

福島滞在記①(0〜2)/ 福島滞在記②(3〜5)福島滞在記③(6〜9)福島滞在記④(10〜12)


「私、福島行ったことないんですよ。東北自体行ったことなくて」
「あ、そうなの?行けばいいんじゃない?一回見てきた方がいいよ」
松田さんにさらっと言われ、二泊三日という短さではあったが福島に行き、身を置いてきた。
マレビトの会の「長崎/福島/広島 を上演する」シリーズは、リサーチに基づいた戯曲と俳優の身体で劇場のなかに都市をスケッチする。
私には戯曲は書けないが、散文的に福島で出会ったことをスケッチしていこうと思った。
これはそのときスケッチしたものを編集し、整理したものである。

0.ファーストインプレッション:鳥

8月4日 13:30 福島に到着。
ホテルにチェックインして少し休み、夕方ご飯を食べに外へ出た。
すると、福島駅東口のバスターミナルの木々で、鳥たちが大戦争していたのだった。
私の泊まったホテルは西口側にあり、東口側に出るには地下連絡通路を通らなくてはいけない。その地下連絡通路を出る少し手前、地下にまだいるときから異様なその声は聞こえた。
―小学生のころ、いつもの遊び場だった公園の樹が17時になるとこうもりたちが集る場になってしまっていた時期があった。最初は不気味に感じた、その、こうもりの群れの声にそっくりだった。(余談だがこうもりのほうはその後だんだんと親しみがわいた。顔をじっくり見られるときもあり、意外にかわいいなと思った。)

地上に出ると、バスターミナルの中央の木々(6本くらいだったろうか)にものすごい量の鳥がたかっている。ひとつのおおきな群れがばっと樹を移動すると、別の樹からも群れがばっと移動する。通りかかる人たちも少し驚いて見上げたり、互いの話が聞き取れないとジャスチャーしあったりしていた。
凄まじいものがあった。

この日は元々、ただ移動してゆっくり過ごすだけのつもりでいた。
しかし思いのほか、不穏なお出迎えを受けてしまった。

【8月5日】

1.福島駅からバスに乗って、川俣へ

バスが市役所横を通るとき、道のわきに「東京から273㎞」という看板を見た。
しばらくいくと田んぼの端に「28年8月○日 道路除染をします ご迷惑をおかけします」という立札があった。その少し先には同じく田んぼの中に産科医院の看板がある。
政権ポスターがちらほらあるのだが、内容はやはり土地が意識されている。たとえば、「福島に笑顔を」、安倍総理などは「必ずやり抜く 東北復興」とキャッチコピーが銘打たれている。しかしそれからしばらくいくと、「核戦争絶対反対」や「アベ政治を許さない」といった手書きの看板が続き、次第に共産党の貼り紙が多くなっていくのを感じた。川俣のあたりでは沖縄の基地問題や憲法9条についてのポスターや看板もあった。

2.川俣/山での迷子

川俣のバス停を降りてからは、なかなか人間に会えなかった。しかも車の往来が激しく白線の内側を歩いていてもクラクションを鳴らされてしまうので、裏道へ裏道へとよけるうちにどんどん山に入ってしまい、山で迷子になった。向日葵やダリア、百日紅などの花が鮮やかで、日の光の強さの中で大変美しいのだが、とにかく暑く、歩き疲れて脚も辛くなり動けなくなってしまった。山道(とはいえアスファルトのど真ん中)でどうしようもなく座り込んでしまうと、横には放射線線量計があった。さっきは「この先、わなあり!イノシシ捕獲用の罠を設置しています。足元には十分注意してください」という看板とその先に大きな檻の罠があった(設置しているのは「川俣町鳥獣被害対策実施課」らしい)。「なんてところを歩いているんだろう…」と思う。線量計を置きカタストロフ以後の世界を生きながらも、かわらずにイノシシなどの鳥獣被害と農家は戦い続けているのだ。
畑にある赤い風車がダリアと似た鮮烈さを持っている。ペットボトルを赤く塗ってひらいてつくったものと思われる。あちこちの畑にあり、どことなく『風の谷のナウシカ』の「風の谷」イメージと重なった。
原子力発電所という文明が引き起こしたカタストロフを負わされた地域が、自然とともに生きている世界であることが、とても奇異に思えた。
ここでは本当に畑仕事をしている老夫婦ぐらいしか見かけない。犬はたまに散歩しているけど猫にはまったく会わない。虫と蛇くらいしかいない。山の迷子でかなりのタイムロスをしてしまったが、ひとまず無事道を戻り、昼ご飯を食べに楓庵という蕎麦屋に入った。

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