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◇稽古場レポート①(10月4日〜10月16日)

稽古場レポート①(10月4日〜10月16日)/ 稽古場レポート②(10月22日〜10月29日)稽古場レポート③(10月30日〜11月5日)


「今回、「創作プロセスをアーカイブしたい」という希望を代表の松田正隆氏からもらい、私が外部の目で稽古に時々立ち合って稽古場日誌という形で記録することになった。
マレビトの会がどのように福島のまちを浮かび上がらせるか、その過程を本番が始まるまでの間に3回に分けて伝えていく予定だ。
1回目の今回は10月前半の稽古について、稽古場でのメモを主軸に書く。(以下、プロジェクトメンバーの敬称略)


10月4日 『神戸から来た男』 ―今も続く災禍/そこにないもの―

最初に稽古に行ったこの日に渡された戯曲(集)は、かなり分厚かった。厚みが2センチあるのではないだろうか。
この戯曲は、夏にそれぞれの作家が福島に滞在・リサーチして書いたものだ。春先の演出部下見では帰宅困難地区の飯館村近辺を訪れたときいていた。だから私も夏のリサーチではそのあたりを訪問したのだが、戯曲に描かれているのはどうやらもっと普通のまち(?)としての福島のようだ(※この件については10月13日朝日新聞夕刊掲載の記事に経緯が書かれている)。
この日に稽古した作品のタイトルは『神戸から来た男』。いきなり地元住民ではないよそ者が主題の作品である。稽古を見ながらもらったばかりの戯曲を読み、私が最初に観た『長崎を上演する』の演目(『フレンチレストランにて』)とのギャップを感じる。長崎以上に、滲み出るカタストロフの主張が強いのだ。そうならざるを得ないほど、今もなお、続く災禍なのだろう。

ところで、マレビトの会の作品には小道具大道具がほぼない。概ねパイプ椅子と俳優の仕草・身体で表してしまう。それゆえ演出をつける際もそこで戸惑い、止まることが多い。
たとえば、「担架で運ぶ」「外車でやってくる」といったト書き。担架はないし、外車はパイプ椅子でしか表現しない。
後者の場面については、実際に俳優がやるのをみてから松田が「これだと外車感がない」と言った。どうすれば「外車」にみえるのか、という談義はしたものの、答えが出ないままこの日の稽古は終わった。
ない道具をどうみせるか。ものがないままどう振舞うか。
「ない」状態のなかで俳優の身体と仕草でヴィジョンをたちあげていくというのは、そういった道具単位でも「まち」という空間単位でも同じことなのかもしれない。あくまでにしすがも創造舎でしかない場所―東京都内の体育館でしかない場所に、どう「福島」という、今も災禍と向き合わざるを得ないまちをたちあげていくか。


10月8日 『笑い声』 ―時間と距離―

松田正隆の演出は、間・時間についての指摘と人間の配置についての調整がほとんどのように思う。それらは、「人と人との関係を物理的に見せる」ことでもある気がした。心理、情動に頼るのではなく、それよりもむしろ無機質な時間・距離に頼る。
この日、特に間の取り方や台詞について「ハヤイ」と指示が飛んできたのは、すべて緊張関係を伴う間柄の会話や振る舞いであったと思う。複雑な親子関係の場面で頻繁にその指示が出てくるのを感じた。実際、その指示を受けて俳優のことばにもたつきが出ていく中で、関係の複雑さが(無駄な感情表現なしに)可視化されていた。


10月10日 『ドリームジャンキー』 ―「書いてあるままが分からない」―

この日稽古した戯曲には場所指定として「どこでもない場所」が頻発する。夢が題材の劇なのだ。
それゆえ一回、演出をつけていた松田が「え、これどういうこと?」と、一場面丸々、作家のアイダミツルにきく場面もあった。それは主人公が見る夢の場面(のひとつ)であった。
「…書いてあるままです。」「…書いてあるまま…がわからんのやけど…。」「……。」
結局その場面は一回とばすことにし、その次の場面から順に演出をつけていき、最後の場面まで通した。
正直私もその夢の場面に関しては、まったくどういう動き・どういう画を想定して書かれたものなのか、よくわからなかった。
しかし不思議と俳優の身体を通して戯曲の最後まであらわしていったら、そのよくわからない場面の像が見えてきたと思った。かなりカギとなる重要な夢であることが、実感をもって理解できたからかもしれない。
松田もそうだったのか、最後まで演出をつけ終わるとその飛ばした場面に戻り、演出をいつものペースでつけていった。


10月16日 『福島市役所』 ―名もなき市民―

戯曲にかかれていない余白に生きる市民たちが尊重される、不思議な稽古だった。メインの人物たちの会話(戯曲にかかれているもの)の場面で、松田が「もっとこっち」とか指示を出すのは「その会話をしている(戯曲にかかれている)人」以外の人なのだ。エキストラ、アンサンブル、そういったものに近い「名もなき市民たち」の動きに重きが置かれ、市民たちの「行き交い」が大事にされていた。
市民たちのとるにたらない動きの積み重ねで、都市がスケッチされていく。それもこの企画の大きな特徴かもしれない。
ちょうどこの翌日、なかなか稽古に来られない作家の山田咲もメールで「戯曲の空間と舞台の空間の編集が対等になった」とフィードバックをしていた。今までは戯曲にあることを大事にしたうえで空間を作っていた、しかし今回はその主従関係がフラットになっている、と。

ただでさえ作家が5人いるわけだが、そこからさらに、演出の容赦ない舞台空間の編集が入る。ひとつのドラマ(戯曲)でさえも当初の劇作家の意図を離れ、「誰々の作品」というよりもフラットな「無数の出来事のなかのひとつ」に還元される。通常であれば、作品の表情を失うようでネガティブに感じることかもしれない。しかしこのプロジェクトは、このまちを4日間だけ劇場におくことが目的なのだ。それを思うと、この作家性の揺らぎも妥当に感じる。

(森麻奈美さんによる稽古の記録は、当日配布されるパンフレットにも掲載されます。)